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伏見稲荷の御札

蛇と狐の関係

稲荷五社大明神と一口に言われていますが、五社の名前は古来、場所によってまちまちなのが実情です。伏見稲荷の場合、明治維新の際、政府の命によって、併設されていた愛染寺が壊され、改めて祭神を指示されたのが、現在確定している次の五社の名前です。

宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四之大神。

日本の神様は同じ神様でも呼び名と漢字での表記は若干異なるのが普通です。この五社を表した伏見稲荷の御札の説明書がありますのでそれによりながら、相互の関係、それから蛇と狐との関わりを見ていきましょう。

これは天明二年(一七八二年)伏見稲荷の祠官秦親臣が記録したものです。少し書き下して要点を記しておきます。

「当社の御札は願主があるたびに係官が書写して与えていたが、願主が多くなってきたので、板版に御札を彫刻して、願主に刷ったものを渡すようになった。
図面の御簾は神明の神徳を表す。御簾は外からは内が見えないが、内からは外がよく見える。
神は世事何事も明らかに見通している、人間は神慮をうかがうことができない、ということの意味を表す。
皿に並んだ三つの玉は、本社三柱大明神の明なる徳の光を表す。
(即ち、ウガノミタマ、サルタヒコ、オオミヤメである)
鍵は堅く閉じ塞ぐもの。よく導き開く田中之神の神徳の表徴。杉は三輪の御神木、四之神は三輪神と同体の神なることを示す。
俵は五穀、天下の万民が食して活動する素で、これは主神三柱の大神の恩頼を表す。
俵の二匹のものは蚕と蛇の二説がある。蚕なら古来から衣服を作る御神徳の表徴である。蛇と見れば、五穀から化生した神徳と看做される。雌雄の命婦(キツネ)は当社の付属の霊獣、当社御札であることを明示している」

御札の説明は以上で尽きているように思います。

中心が宇迦之御魂大神です。
この神様は女神で、伊勢の外宮の神様と同体。佐田彦大神と猿田彦大神は表記の違いです。
大宮能売大神は大宮女神、とも表記されます。この神は高天原にあるとき天鈿女命とよばれ、天孫降臨してサルタヒコと結婚しオオミヤメと呼ばれるようになりました。猿田彦と天鈿女命の恋物語は、稿を改めて詳しく触れることにします。二人の結婚により宇迦之御魂大神が生まれたということが重要な意味を持っています。稲荷信仰の根幹には、父と母と聖霊という三柱の神霊構造が明らかに存在しており、これこそが稲荷社を創設した秦氏の信仰の中核的部分でありましょう。

秦氏は日本古来の神の名前を用いつつも、三柱の神に一定の構造を与え、そこに新たな意味を封入しました。秦氏の信仰が三角構造を持っていることは養蚕を合祀しているので蚕の社ともいわれている木嶋坐天照御魂神社にある有名な三角鳥居からも推定できます。草創から平安時代まで、一般の人々に知られていたのはどの資料からも三柱の神だけです。

蛇と狐

狐より蛇の方が古いのです。俵の上に蛇を作って宇賀神といわれました。これが稲荷社の目処だったこともあります。ウカとは白蛇のことで、狐に変わったのは陰陽五行説によるといわれています。蛇は元来水神として崇められていました。
和銅四年(七一一年)に稲荷社が出現しましたが、その翌年、和銅五年は六十年に一度廻って来る壬子(みずのえね)の年、水気が横溢して大水害が予想されました。蛇は水、水の害を防ぐには、「土剋水」で土の気を有する狐の登場が要請されていたこともあり以後、目処としては狐が優勢になったといわれています。

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